「また会う日まで。」 エツコ-spinningball- コヤス
ある朝、台所で食事をしていると電話のベルが鳴った。
小走りに玄関へ行き受話器を取ると、どことなく詰まったような女性の声で、
「サキさん、おいでですか?」
と言われた。サキさんとは、私の祖母だ。もう80歳になる。
「少々お待ち下さい。」
そう言って受話器を置き、私は祖母の部屋へ行った。障子をそっと開け、声をかける。
「おばあちゃん、電話だよ。」
詩吟の本を見ていた祖母は顔を上げ、
「おや、めずらしい。ちょっと、待ってちょうだい。」
と、ゆっくりと立ち上がった。スリッパを履き、私の腕を取ると静かに廊下を進む。電話の前まで来ると、「ありがとね。」
と言って受話器を取った。
「もしもし」
話し始めた祖母の近くに、私はしゃがみこんだ。話しが終われば部屋まで、また私がエスコートするのだ。どうせ長電話になりはしないし、聞いていてマズいような話しなら、祖母の方からあっちに行くよう促すだろう。そう思って待っていると、祖母は少し驚いたような声を挙げ、それから静かにうなずき、
「わかりました、そうさせてもらいます。」
と言い、電話を切った。心無しか沈んで見えた。
「なにかあったの?」
そう訪ねると、
「うん。幼馴染みが亡くなったんだよ。明日、御葬式だから、その知らせ。」
「 場所、どこなの?私、ついていこうか?」
足の悪い祖母だ。たった一人での外出は家族みんなから止めるように言われているし、本人も不安がって出て行こうとはしない。
「そうだね。じゃ、お願いするかね。本町の花屋の近くだから、エリちゃんにもすぐわかるよ。11時からだって。」
部屋に向かって歩きながら祖母はそう言って、フゥとため息をついた。
次の日、出かける前にちらかった車内をかたづけていると、庭に杖を持った祖母がやって来て、七分咲きの梅の枝を一本パチンと切った。
「おばあちゃん、どうするの?それ。」
「この白梅ね、アサ子さんが家の新築祝いにくれたんだよ。アサ子さんも私も梅の花が好きでねぇ。」
「アサ子さんて、今日の御葬式の人?」
「そう。持っていってあげようと思ってね。」
「そっか。喜んでくれるね。きっと。」
こちらを向いた祖母は少し微笑んで、もう一度梅の花を眺めた。
「エリちゃんがまだ小さかった頃には、アサ子さんもよく遊びに来てたのにね。隣町に越してからは、行き来が少なくなったんだよ。この町にいた頃には、夏にこの梅を二人で沢山もいだもんだったのに…。」
祖母がなんとなくこの梅の木を大事にしていた事は知っていた。枝の剪定もこまめにしていたし、毎年、台風が近付く頃には、甘く漬け込んだ梅をソーダで割っては飲ませてくれるのが祖母の習慣だった。
「ふぅん。私はよく覚えて無いけど、本当に仲良しだったんだね。」
祖母は私の言葉にうなづいて、白梅の小枝を手に、またゆっくりとした足取りで家に入って行った。
出掛ける時、後部座席に乗ることを勧めたが私が運転するのを見たいからと、祖母はわざわざ助手席に座った。
「なんだか緊張するなぁ。」
と私が照れながら言うと、
「私も若けりゃ運転したいんだよ。」
と言った。足を悪くしてからは、行動範囲が狭まってだいぶ老けこんだように見える祖母だったが、普段は明るく元気にしていた。しかし、今日は幼馴染みの御葬式というので、どことなく寂し気に見えた。大事そうに持った梅の花が静かに震えているようだった。
言われたとおり、本町の花屋に近付くと、白地に黒い文字で書かれた立て看板が目立ち、私達の道行きを案内した。駐車場から葬儀場まで、祖母に腕を貸して歩きながらふと祖母の顔を見た。車の中での感じと違い、祖母は意外にも気丈に見えた。泣かれたらどうしようと思っていたので私は少し安堵した。私なら、幼馴染みのお葬式なんてきっと、ひどく取り乱してしまうだろうに、と思った。
玄関を入ると見た事の無い年輩の人達ばかりで、どうしようかと思っていると、祖母を見つけた女性がこちらにスッと近付いて来た。
「今日はわざわざありがとうございました。」
「いえ、お別れに来られて良かった。知らせてくれて本当にありがとうね。」
どうやら、アサ子さんの娘さんらしく、そう言われれば私の母と同じくらいの年回りに見える。
案内されて座った席は前の方で、祖母の隣には、同窓生だというおじいさんが座っていた。
まもなく式は始まり、低い声で念仏が唱えられた。すると、小声で
「サキちゃん、あれ、用意して来た?」
祖母が「小松君」と呼んだ同窓生のおじいさんがこちらを向いて問うて来た。
「ええ。ちゃんとね。」
祖母は懐のあたりにポンと手をおいて言った。
「昨夜はちょっと考え込んじゃったけど、私なりに言いたい事を言うつもりよ。」
「そうか。」
二人の会話に疑問を持ちながらも、なんだか割って入るのも気がひけるので黙っていた。式は進み、やがて進行役の人が、
「それでは、故人であります、津田アサ子様に向けてお別れの言葉を御願いいたします。山本サキ様、御願いいたします。」
私は驚いた。今日の祖母にそんな大役があったなんて。血圧の高い祖母が緊張して倒れはしまいかと不安になっていると、祖母は
「エリちゃん、前まで、ちょっと良い?」
と、立ち上がった。私も慌てて立ち上がり、祖母の手を取り、静かにマイクの前まで進んだ。
「アサ子さんに手紙を書いてきましたので、読みたいと思います。」
そう、はっきりとした口調で話し始めた祖母はとても落ち着いており、私は、祖母よりも自分の方がドキドキしていることに気付いて小さく深呼吸をした。
「アサ子さん、知らせを聞いて、本当にびっくりしました。あなたとしばらく会わないうちに、こんなに突然逝ってしまうなんて、とても淋しいです。一昨年、級長だった高橋直人君の御葬式に行った時にはあなたと、川崎芳子ちゃんも一緒でした。あの時、三人一緒に長生きしましょうねって約束したのにね。昨夜、あなたがいってしまった事を芳子ちゃんに知らせようと慌てて電話をかけたのですが、もう長い事、床に伏したまま動けないのだそうです。だから、今日は小松君と二人きりであなたにお別 れを言いに来ました。」
ほとんど手元の紙に視線を落とさずに話し続ける祖母に私は驚きながらも、その悲しそうな表情に胸がつまる思いがした。
「今、こうしてあなたの写真を眺めていると、もう、声を聞く事もできないんだと思って悲しいです。でも、よくよく考えてみれば、そんなに悲しがることでも無いかもしれません。だって、そっちに行ってしまったあなたに、再び会えるのも、もうそんなに遠い先の話ではないんですものね。そちらに行けば、あなたや、もうずっと前に亡くなってしまっただんな様や可愛かった弟や、優しかった父と母にもまた会えるのですから…。こんな歳になった今では、昔の仲間が次々にいなくなっちゃって、思い出話をする相手すら見つかりません。早々と行ってしまったあなたをうらやましくも思うけれど、でも、みんなとまた会える日を楽しみに、ここでもう少し、元気に暮らそうと思っています。そう思えばもう、悲しくなんかありませんから、どうぞ安心してください。」
私は堪えきれなくなった涙を拭きながら横をふと見ると、小松君というおじいさんも、微笑みながら泣いていた。アサ子さんの娘さんも、ハンカチで目を押さえている。そして私は不思議とさっきほど悲しく無い自分に気付いた。祖母は最後に、
「私が遅れて行っても、みそっかすにしないで仲良くしてちょうだいね。そして、また梅の花を一緒に眺めましょう。」
といって、お別れの言葉を締めくくった。
出棺を前にして、祖母はアサ子さんの合わせた手に白梅をそっと握らせた。うっすらと紅をさされた口元は、なんだか笑っているように見える。頬を皺だらけの手で優しくなでて、祖母は
「またね。」
とつぶやいた。
帰りの車の中で、春の暖かさと心地よい揺れも手伝ってか、祖母は眠ってしまった。みんなの前であんなに話して疲れたのだろう。私はカーステレオを小さくして、家までの道を少しだけ遠回りした。運転しながら、帰り際に小松君というおじいさんが微笑みながら、私にこっそり言った事を思い出していた。
「サキちゃんはわしの初恋のひとなんじゃ。だからというわけじゃないが、大事にしてあげておくれよ。」
私も微笑みながら、
「はい。もちろんです。」
と答えた。
「大切な幼馴染みじゃからな。昔話をする相手がこれ以上減っちゃあ、かなわんから。」
おじいさんは、身体のわりに大きく見える手を振って、私達を見送ってくれた。
眠ったままの祖母を乗せ家につくと、車のウィンドウ越しに、庭の春らしい光りの中で、白梅が満開になっているのが見えた。どこからか、女の子の笑う声が聞こえた気がした。