「恋はご多忙申し上げます」   十河梨枝


 密かに想いを寄せている人が、もしかしたら私のことを好いてくれているかもしれない。
そんな淡く切ない気持ちで夏を迎えたのは1982年、私は高校2年生だった。
 教室は、もう受験期のムードがぼんやりと漂っていながら、「来年になったら受験で大変だから、今のうちに楽しんでおこう」的な考えを持った生徒もだいぶいて修学旅行を前に少々浮き立っていた。  
私には同じクラスに好きな男子がいた。 彼は本当におとなしく目立たないタイプで、彼女はおろか彼のことを好きだという女子の噂も聞いたことはなかった。
しかし、彼は見れば見るほど整った顔立ちをしており、成績も上位、身長も180センチはあった。
家がブティックを営んでいるせいか何となく彼の振る舞いはエレガントに見えた。
いつも長い足を組んでいて、目が合うとにっこりと微笑む。その微笑みには女子にもてようというような媚びなどなく気持ちがいいほど爽やかだった。
どうしてみんな彼の魅力に気付かないんだろう、でも誰かが彼のことを好きになったらどうしよう。そんないらだちと不安を抱えながら遠巻きに彼を見つめていた。

 私にチャンスが巡ってきたのは、運動会の準備に入る頃だ。
通っていた高校の運動会には「学年対抗応援合戦」という競技があり、これだけは他競技とは別 採点になる。
全員の競技ではなくクラスから男女各2名づつが選出され20名ほどで競技の合間に応援する。
これには各学年ごとに特別な思い入れがあり、選曲・振り付け・衣装づくりなどにとてつもないエネルギーを注ぎ込むのだ。
応援団員は運動会まで休む暇はない。日曜日も集まって練習に励む。
そんな運動会の“華”ともいえる応援団員になぜか私と彼は選ばれていた。
 曲がまず決まった。「フラッシュ・ダンス〜what a feeling〜」「サマー・サスピション」そして原由子の歌う「恋はご多忙申し上げます」 どの曲もその当時のヒット曲である。
その中でも「恋はご多忙申し上げます」は男女がペアになり踊るということで私の胸は高まっていた。
「どうか、どうか、彼とペアになれますように。」
人知れずそう祈っていた。 クラス別だと確率は二分の一になる。
「同じクラスだと気心も知れているし、踊りの息も合うかも。」
なんだか、無理のあるこじつけの提案を思い切ってしてみたものの敢えなく却下され、結局見た目に綺麗という理由で身長順にペアを作ることに決まった。
男女身長順に並び、横になった人と手をつないでみる。彼でなければ他はもう誰でも一緒だ。
半ばあきらめて投げやりに腕を伸ばすと
「よろしく。」
聞き慣れた声が耳に飛び込んできて、驚く間もなく手が握られる。
私がずーっとずーっと見てきた、あのシャープペンシルをクルクルと器用に回した指が、休憩時間にはズボンのポケットに入れっぱなしでそうはお目にかかれないあの手が、今、私の手と繋がっているのだ。
私は多分耳まで赤くなり、立っているのがやっとだった。かわいいものだ。
「恋は…」の踊りには”恋人同士が些細なことでケンカをし、機嫌をとったりとられたりしながら仲直りをしてゆく”というストーリーがついていて、私にとっては嬉しい限りの内容であった。ドラマを恋人役で競演したスターが本当に恋愛感情を抱くようになる気持ちがわたるような気がした。とはいっても私は既に好きだったので彼にそれを強く望んでいたのだと思うが。
  それからは毎日放課後が楽しみで仕方なかった。
歌はフルコーラス歌えたし、振りも必死で覚えた。 歌えば歌うほど、踊れば踊るほど彼を近くに感じることが出来た。
練習で遅くなり暗くなってから学校を出ることもあったが、そんなときは彼が必ず門の前で待ってくれていて、自転車で並んで帰った。
「もしかすると私たちもうつき合っているのかな?」
彼に聞きたくても聞けないことを家に帰ってからつぶやいてみたりもした。
 そんな 二人は勢いづき、いつの間にか障害物競走も一緒に出ることになっていた。
公立高校の割にはあか抜けた競技で男女ペアになって手をつないで走るのだ。
平均台を歩き、網をくぐり、梯子を通り抜けた後はなんと、男子が女子をおぶってゴールするというおまけまで付いていた。
そのおかげで細身の彼は2キロ太り、私は逆に2キロ痩せるという約束も交わすことが出来た。
それで二人の体重が同じになるのだ。
約束の内容が情けないがこの際何だっていい。私は「約束」したことで舞い上がった。
都合のいいことだけを取り込む性格はこのころから既に表れていたらしい 。

  それ以来、彼と私は急速に親しくなっていった。
もちろん応援合戦も大成功に終わった。
修学旅行前には雨後の竹の子のごとくカップルが出来たが 私は俗に言う「友達以上恋人未満」の彼がいてくれたおかげで取り残されることもなく、バスの前でツーショットの写 真を撮り、無事修学旅行を終えることも出来た。
そんな夏と秋を過ごしながら、私と彼はふくらんだ風船の結び目が解けたように元の関係に戻ってしまった。
目立たない男子と片思いの女子に。そんなものだ。
多分、あの歌には恋のキューピットが仕込まれていて、ちょっとの間だけ私に夢を見させてくれたのだろう。
そう思うのは、今でもあの歌が流れると17歳の頃の私のように胸が切なくなるからだ。誰かに恋したくなるからだ。

 先日、友人が中学の同窓会で彼と言葉を交わしてきた。
二枚目に磨きがかかり、家業のブティックを継いでいて、もう3歳の女の子の父親だという。
友人の話に耳を傾けながら大人になって落ち着きの増したさぞかしいい男になっているであろう彼を想像し、学生服姿しか知らない私は友人に少々嫉妬した。
私にも5歳の娘がいるが「恋はご多忙申し上げます」が聞こえてくると思わず踊り出しそうになる。
もし、踊ったなら振りを間違えることなく踊る自信がある。
彼はどうなんだろうか、あの曲が流れると当時を思い出すだろうか。そして踊れるだろうか。
もし、踊れたとしても絶対に踊るはずはないが。

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