「てっせん子守唄」 十河梨枝
「てっせん子守唄」は私の今一番のお気に入りの曲だ。
つかの間の一人の時間、湯舟に身体をまかせているとき、 唇から自然にこの曲がこぼれ落ちてくる。
そしてたとえようもない切なさがこみあげてきて しばらくの間、目を閉じるのだ。
「てっせん子守唄」山崎ハコの曲である。
中学時代、私はもっぱら中島みゆきを聴いていた。
有名なアーティストなのでご存知だろうが、その頃の彼女はアイドル歌手に曲を書いたりせず、 そして今のように人生の応援歌のようなものなど歌いはしなかった。
「女なんてものに」「かなしみ笑い」「うらみ・ます」‥。 タイトルだけでも想像がつく 。
彼女はひたすらに、ただひたすらに愛をなくした女の悲しみを 歌っていた。
時には嘆くように、時には恨むように。
なぜか“中島みゆきのファンだと公言してはならない”ことを本能的に知っていたらしく、 学校では誰にも言わなかった。
自分だけの密かな楽しみであることがまた、彼女への、 彼女の曲への想いに拍車をかけていった。
男と女の世界など知るはずもないのに、彼女の歌の流れる空間は実に心地よく、四畳半 ほどの部屋に仰向けに寝そべり歌詞カードを目で追って口ずさんだりしていた。
つかの間、大人の女になったつもりでいたのだろうか。
本当に大人になってしまった今では 中島みゆきの歌を聴くことはなくなった。
けれどあの頃、息を止めてレコードに針を乗せ、その 歌声に胸が高鳴ったことはよく覚えている。
山崎ハコの名は早くから知っていた。
華奢な体つき、長い黒髪、つぶらな瞳。 あんなに可愛らしい顔をして世の中に背を向けるようなすごい歌をうたうと聞いていていた。
「聴いてみたい。」何度もその衝動に駆られ、それをやっとの思いで抑えてきた。
「暗い歌をうたう歌手」として同じ1975年にデビューした中島みゆきと名を連ね、常にお互い の比較対照にあった。山崎ハコに気を取られること自体が中島みゆきを裏切ることになる、 などという幼い考えを巡らせて知らんぷりを決め込んではいたものの、胸の内はその言葉とは裏腹で、 気になって気になって仕方がなかった。
けれど彼女のこれ以上はない暗さで歌う怒濤の絶望の歌を聴く勇気を その当時は持ち合わせていなかった。
“山崎ハコ”は「禁断の木の実」。快楽と苦悩をいっぺんに手に入れてしまうという確信を持っていたからに 他ならない。
長い長い間、封印されていた“山崎ハコ”を開けてしまったのは、20年を経た3ヶ月ほど前のことである。
愛読しているメールマガジンのコラムの中で数行彼女について書かれていた。
きっかけと言えばそれがきっかけではあるが、今までも活字の中の“山崎ハコ”を何度となく通 り過ぎ、揺らぐ 心を抑えてきたのだ。
しかし、今度は違っていた。私はCDを手に取り、PLAYのボタンを押したのだ。機が熟したのだとそう思った。
「魂が歌っている。」そんな風に思った。
それ以来、私の中に“山崎ハコ”は息づいている。
彼女の歌に慰められ、癒され、そしてかき乱され、苦悩する。
きれい事ではすまされない、泥沼のような心の中を書ききり、全霊で歌い上げる彼女をむしろ潔いとすら感じて いる。そして20年前の確信に間違いはなく、いま、この年齢になってから彼女の曲を聴くことが出来て本当に よかったと思っている。幸せだと。
中島みゆきはニューミュージック界の女王として君臨し、ドラマの主題歌を歌い、楽曲を提供し、郵政省の テレビCMにも出演して、今や小さな子どもでもその存在を知っている。
「ただ、歌っているだけです。歌わせてください。」と自分のスタンスを変えることなく貫いた山崎ハコは在籍 していた事務所が倒産し、歌う場所をなくし、生活のため皿洗いのアルバイトをしていたと知って、驚きのあまり呆 然としてしまった。
現在は多くのファンの協力で全国のライブハウスを巡り歌いつづけている彼女。
「歌手として生かさせてください。」とギターを抱えて。
「てっせん」はその美しさに手折ろうとすると茎で手を切ってしまう、そんな強い花。
私はこれから先、「てっせん」の花を見るたびに、間違いなく“山崎ハコ”を思い浮かべる。